長男の習い事事情
長男がどういう時、どういう場所で、「本当の自分」をみんなに見せることが出来るのか。
そしてそれはいつなのか。
突然やって来るのか、大人になるまでやって来ないのか、もしくは大人になってからも来ないのか・・・。
それが分からないから、苦しいんです。
ただでさえ、「場面緘黙症」はなかなか理解してもらえず、苛立ちや悲しみが常に付きまとう上に、先が見えないことへの不安がズシッとのしかかってくるのです。
でも、やっぱり・・・、
「理解してもらえない」
もしかしたら、これが一番「場面緘黙症」の子供を持つ親にとって堪えることかもしれません。
こんな出来事がありました。
小さい頃、長男はわりと色々なコトに挑戦したがり、あれをやってみたい、これは僕に向いていそう、と、自分から私に伝えてきました。
いわゆる「習い事」の話です。
私にも、長男に何が向いていて、何が向いていないのか、その時はハッキリと分かりませんでした。
でも、やってみなければ分からないことがあるかもしれない、長男が変わるような、思わぬ「きっかけ」が落ちているかもしれない、とは思いました。
そこで、長男がやってみたいという「習い事」はやらせてみることにしました。
まず、長男がやりたいと言った「お勉強系」の習い事と、あとはチームプレーではない「運動系」の習い事を。
「運動系」の習い事は、時々行くのを渋ることもありますが、「お勉強系」の習い事は、先生との相性も良く、結局両方とも、長いこと続いています。
それでも立ちはだかる壁
そんなある日。
「お勉強系」の習い事のレベルアップという感じで、もう1つ科目を増やす機会があり、その体験授業がありました。気に入れば、そのクラスも受講することになります。
でも、そのクラスの新しい先生を見た瞬間、私はイヤな予感がしました。
声が大きく、ハキハキしていて、テキパキと指示を出してくるようなタイプの先生です。
十数人いる子供たちを前に呼び集め、一緒にゲームをすることになりました。
難しい問題もゲーム感覚で楽しく覚えていきましょう♫という感じです。
子供たちからしたら、楽しい時間でしょう。
みんな一斉に先生の周りに集まり、元気に質問に答えていきます。
長男は・・・
案の定、固まっていました。
席から動くこともなく、先生の方を見るでもなく、つまらなそうにポツンとそこにいました。
ああなってしまうと、もう簡単には心は開かないだろうな・・・と私は思いました。
そんな長男を見た先生がピシャリとまさかのひと言。
「やる気のない子はやらなくていいよー!」
もちろん、それは無理してやらなくていい、ということではなく、やらない子は帰りなさい、という方の意味。
そう、長男は「やる気のない子」と思われたのです。
長男はみるみるうちに、困った顔になりました。
でもそれは、傍から見たら少しふざけているようにも見えてしまいます。
「みんなと同じことが出来ないのかしら?」
先生は少し苛ついていました。
今度は「出来ない子」と思われました。
長男は、そこに居づらくなったのか、椅子から立ち上がり、床に座り込みました。
その後、長男はもちろん、先生も長男のことは相手にせず「無視」でした・・・・。
諦める事も時には必要
授業が終わった後、長男を除くほぼ全員がその授業を申し込みました。
私は申し込みはせず、長男を連れて、スタスタと教室を後にしました。
体験授業でやっていた内容・・・。
本当は、長男はすべて分かっています、理解しています、答えられます。
本当は、やる気だってあります。
・・・でも、私がじっくり説明しないと、長男と深く関わってもらわないと、そんな事は気付いてもらえないんです。ただただ、「やる気のない」「何も出来ない子」と見なされるのです。
今回の先生は、長男の態度を見て、すぐにそう判断しました。
だから、私も「理解してもらう事」を諦めました。
一瞬で。
もちろん、悔しいです。モヤモヤは晴れず、行き場のない悲しみも押し寄せてきます。
でも、その時の私は、早くこの場から長男を解き放してあげたいと思いました。
「理解してもらうこと」は大切だけど、その時ばかりは、理解してもらえなくて構わない、と思ってしまいました。
きっと長男も、あの先生の前で「本当の自分」を見せることは一瞬たりともないような気がしました。
時には、そういう「諦め」も必要なのです。
そうじゃないと、長男も私も悲しみに押し潰されてしまい、立ち上がれないのだから。
帰り道、「みんなでゲームするのはイヤだな・・・」と言う長男に、「あの授業は受けないから大丈夫だよ。」と私は答えました。
長男はホッとしたのか、笑顔を見せてくれました。
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