息子が不登校になるまで~ブログ再開します

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久しぶり過ぎる投稿ですが・・・

前回の投稿から3年も経過してしまいました。

以前も長男の過去の出来事を思い返して綴っていたので、今となってはもう当時のことはほぼ思い出せません。忘れたいこともあるくらいなので。

長男はすでに中学生、次男も小学校の高学年になっています。前回は、長男が小学校に入学したばかりの頃を書いたので、あっという間に6~7年が経過したことになります。驚きです。

その間、長男の『場面緘黙』の症状がどんどん大変になっていったこと、ただただ可愛かった次男にまで長男と似たような傾向が出てきたこと、そのため私の心の余裕もなくなっていったこと、現実から逃げるように仕事を始めたこと、長男の成長につれて長男とぶつかることも多くなったこと・・・などなどがブログを書く気持ちになれなかった要因でもあり、言い訳でもありますが、ここにきてやっと落ち着いてきた感じがします。いや、大変なことにあまり変わりはないのですが、少しだけ心境の変化があり、また書いてみようかな・・・という気持ちになりました。

そもそも『場面緘黙症』『社交不安症』について知ってもらいたい、理解してもらいたい、と始めたブログなのに、小学校の6年間をすっ飛ばすのも勿体ない気がしてなりません。大変ではありましたが、良い思い出や貴重な出会いもありました。なので、すでに中学生になってはいますが、小学校当時の記憶を辿りがらまた書いていこうと思います。

低学年の頃は

前回、小学1年生の初めての保護者会で私がかなりダメージを受けたことを書きました。長男のこれからは前途多難かもしれない・・・と、改めて突きつけられた現実に愕然としたことも。

それでも、今思うと低学年の頃はまだマシでした。

先生や支援員の先生方のサポートがあったことも大きいし、私も毎朝付き添い登校はしていたけど、長男は教室に入れていたし、給食も食べていたからです。BOP(=Base Of Playing:学校内にある放課後の子供教室、遊び場)に行く日もあったし、遠足や運動会、社会見学やクラスでのお楽しみ会などのイベントにも参加出来ていたからです。

それに、クラスメートとのコミュニケーションは苦手ではあったけど、長男の本来持っている明るい部分やユーモアを理解してくれるお友達も周りにはいて、遊びに誘ってくれることも沢山ありました。大変だったけど、長男を取り巻く環境に私たちは恵まれているな、有難いなと思えた日々でした。

ところが、3~4年生になったあたりで、それはガラリと変わりました。長男は「教室には行きたくない」「運動会には出たくない」「先生ともあまり話したくない・・・」と主張するようになったのです。なんなら、1,2年生の頃も本当はイヤだったけど無理して頑張っていた、と言うのです。びっくりです。

でも、それを決定づけた出来事がありました。

ある日付き添い登校をして、いつものように教室の前まで私と一緒に行った長男。

すると、長男は体がカチコチに固まってしまい動かなくなってしまったのです。下を向いている長男の顔は強張っていて、教室に入ろう?と促してみても、気付いた先生が迎えに来てくれても、動こうとしないのです。

それでもしばらくした後、ゆっくりと教室に少し入ったのですが、長男は小刻みに震え出しました。

あ、限界なんだな、と思いました。

緊張なのか不安なのか分からないけど、とにかく長男の身体が悲鳴をあげているんだな、と感じました。

別室登校の始まり

それからは長男は教室には行かず、その後開室されることになる『レインボールーム』(教室に行くことが困難な生徒が一時的に使用できる別室)に通うことになりました。朝、長男は直接『レインボールーム』に行き、週に1回は『すまいるルーム』で2時間を過ごします。残りの時間は『レインボールーム』で自習をしたり、先生が持ってきてくれる課題に取り組んだりしました。図工や家庭科の製作系の課題もわりときちんとやりました。

教室には入れなかったけど、完全な不登校にはならず、なんとか別室登校は続けることができていました。それは後の次男の時と比べると、長男がかなりラッキーなケースであったことも否めませんが。

学校行事はもう限界

それでも、前述したように、遠足や運動会、音楽会や学芸会、校外学習などは一切ダメになりました。まだ中学年の頃は「参加したい気持ちはあるけど、怖くて出来ない」と言っていましたが、高学年になると「絶対参加したくない」と言うようになりました。

そういった行事やイベントでしか得られないものもあるのにな・・・とは正直思いました。宿泊行事の『移動教室』や『修学旅行』にも参加しなかった時には、少し切なくもなりました。大人になって、嫌いだった授業や勉強内容は覚えていないけど、さすがに宿泊行事は楽しかった思い出として私には残っていたから。

なので、そういう子供時代に経験する、その時にしか味わえない貴重な体験をせずに大人になっていいのかな・・・と、私は寂しさと切なさと不安と、あと申し訳なさも入り混じった複雑な気持ちで一杯でした。

学校だけがすべてじゃない

私はきっと長男に楽しい小学校生活を送ってほしかったのです。辛いことや悔しいことにぶつかる時があっても、笑って過ごしている時間があればそれで充分と思っていたのです。言い方は間違っているかもしれないけど「普通」の学校生活を送ってくれたらどんなに良かったか、と思っていたのです。

でも、長男にとっては『学校』が『場面緘黙』を発症させる場所であり、不安な場所そのものなんです。「普通」の学校生活を送ることなんて到底出来るわけがありません。そんな肝心なことを忘れるところでした。

それからは、行事のある日は学校を休みました。先生は、運動会に観るだけでもいいからおいで、と言ってくれましたが、観るだけは親子共々辛いのです。みんなの輝いている姿を観るのはちょっとしんどいのです。

その代わり、思い切って違うことをしたり、どこかに遊びに行ったりしました。そうしなければ、行事に参加出来ないことへの後ろめたさや心のモヤモヤを払拭できなかったからかもしれません。

先生には正直に話しました。すると、家で悶々としてしまうより、思い切り遊んで来るほうがいいと思います!との返事が。なんと有難かったことか。

そうそう、参加しなかった修学旅行も、家族で行ってきました。

思うことは沢山あったけど、学校で学ぶだけがすべてじゃない、と自分に言い聞かせました。

長男にとっても、不安だらけの学校でど緊張しながら行事をこなすより、学校以外の場所で笑顔で楽しくその日その日を過ごす方が良かったのではないかなと、と数年経った今は思えます。

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