「発達障害」という言葉と向き合う
「場面緘黙症」という言葉に出会うまで、長男は「発達障害」という障害を持っている子なのかな・・・と、漠然と考えたことがあります。
なぜなら、訪れた相談機関で「発達障害」を知っていますか?とやんわりと言われたこともあれば、幼稚園以外の施設を探していた時に出会った方に、「この子はアスペルガーだね」とあっさり言われたこともあるからです。
「発達障害」という言葉はもちろん知っていました。その中の「アスペルガー症候群」についても私なりに調べてはいました。
でも、本当に長男が「発達障害」なのか・・・。
きっと誰しもがそうであるように、私も一人の親として急に不安になりました。
もしそうであった場合、私はきちんとそれを受け止め、受け入れられるのか・・・。
現実と向き合うことも怖くなりました。
ドキドキもしました。
大げさだけど、頭の中で様々な事を考えて眠れなくなる日もありました。
だけど、専門の先生に診てもらい診断してもらうことで、長男への対応の仕方がより具体的に分かるかもしれない、それによって長男も救われることがあるかもしれない、と思い直しました。
大事なのは、私の不安云々ではなく、長男なんだから。
私が抱いていた「違和感」
そして、勇気を出して専門機関に足を運びました。
本来なら、もっと早く行くべきだったのかもしれません。
あれ?と思った時点で「発達障害」(長男の場合は「アスペルガー症候群」??)を疑うべきだったのかもしれません。
でも、
私には、「違和感」があったのです。
調べれば調べる程、「これだ!」とは思えず、「う~ん・・・なんか違う・・・」という感情ばかりが芽生えていたのです。
確かに長男は、集団行動が苦手だし、同年代の子供たちが大勢いると逃げるようにその場を離れます。そして何より、コミュニケーション能力が乏しく、相手に自分の気持ちを伝えることが上手くできません。
だけど、それは決まって家以外の場所、この時は幼稚園だけだったからです。
家の中ではとにかくお喋りで、お友達を家に呼ぶとふざけて調子に乗って怒られることもしばしばでした。
そして何より私が引っかかったのが、アスペルガー症候群の特性として挙げられている「相手の気持ちを察する力が乏しい」という点です。
長男は小さい時から、お友達には優しくできる子でした。
というか、強気に出ることが苦手で、とられたオモチャは取り返すことができない子でした。
毎回毎回そうなので、私もついイラッとして、大人気なく長男に言ったことがあります。
いつも取られてばかりで悔しくないの?順番で遊べばいいんだから、すぐに貸してあげなくたっていいんだよ、と。
すると長男は私に言うのです。
「僕が貸してあげないと、〇〇ちゃんは悲しむでしょ」
または、お友達に一方的にきつい言葉を言われてしまった時も、何も言い返さずに、後からこっそり涙を流します。
お友達なんだから喧嘩してもいいんだよ、ちゃんと仲直りできればいいんだよ、と言っても、長男はこう言います。
「僕がこう言ったら、〇〇くんはきっとつらい気持ちになるし、僕もつらくなるから言いたくない」と。
小さいながらに、いつも「相手の気持ちを察する」ことが出来る子でした。
これは、私が親だから言っているのではなく、周りのお母さん達から常に言われていた事なので、きっとそうなんだと思います。
なので、私は常に「違和感」を持っていて、「診断」してもらうということになかなか踏み出せずにいました。
さらなるモヤモヤが・・・
そして、
先生ははっきりとした診断をせずに診察を終えました。
その時の長男、なぜかハキハキと、なぜかニコニコと、元気に受け答えしてしまったから・・・。
「してしまった」という表現は間違いかもしれませんが、確かに先生も「???」です。
私がいかに長男が幼稚園で喋らないかを説明したところで、先生も長男の様子を間近で見ているのだから、診断のしようがないのも仕方ありません。
でも、私が必死で先生にお話をして、最終的に言われたのは、
「「発達障害」は、程度の差はあれど、誰しもが何かしら持っている可能性もあるし、色んな特性を併せ持っている場合もある。長男くんの場合も何かしら併せ持っている可能性があるけど、はっきりそうとも言えない、つまりグレーだね」と。
グレー・・・。
白でも黒でもなく、グレー。
グレーってなに??
この日からまた、私と長男のモヤモヤは晴れないまま、幼稚園に通うことになるのです。
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